安易な「差別語」認定は麻薬である
しかも大麻のように気持ちを落ち着かせ感覚を鋭くさせる働きをするのではなく、バッド・トリップした場合はアルコールや幻覚剤のように作用する、タチの悪い麻薬だ。
ある種の人々が、ある言葉を文脈とは無関係に語彙レベルで「差別(用)語」と認定したがるのは何のためか。その多く(ほとんど100%?)は、他人の発話した文の中にその語が含まれているか否かのみによって、その文が差別表現であるかどうかを判断し、含まれている場合は発話者を差別者として非難し、糾弾し、自らを正義の高見に置くためである。これはおそらく、ものすごい快感をもたらすのだろう。いったん中毒になると、正常な判断力は失われ、なかなか常用をやめることができなくなる。
「アルコールや幻覚剤のように」というのは比喩でもなんでもなく、「差別語」に対する固定観念と先入観と偏見によって、文字通り存在しないものが彼らの眼前に現れるのである。まるでアシッド食って鏡を見たらゴリラと肩組んでたとか、腕が痒くて掻いたら肉がポロポロと削げ落ちて緑色の骨だけになっちゃった!とか、そのレベルの幻覚を彼らは見ている。
たとえば社会心理学者の高史明(東京学芸大・神奈川大/非常勤講師)は、ツイッター上でのATOK標準辞書の「言葉狩り」問題に関する私との論争 (高本人によれば、あくまでも私への「おちょくり」)において、私に対し開口一番こう言い放った。
ちょうせん→チョンが変換できるべきならねとうよ→ネトウヨも変換できるべきっていうのが間違った相対化とはこれまたドデカイ天然さんだなぁ
http://twitter.com/Fumiaki_Taka/status/38945965989830656
最初に小倉秀夫との会話として始まり、途中から高史明にスイッチしたこの議論の記録はここにまとまっているが、もちろん私が「ちょうせんと打ってチョン」と変換すべきなどと主張している箇所はない。
その件に関連して私が言及したのは、「何を差別語とするかについてコンセンサスができていないなら、ジャストシステムが自主的に判断するのは当然」で、それに異を唱えるのは「無責任な外野の立場」という小倉秀夫の発言に対して
仮に「ちょうせん」と打って「チョン」と変換されてもあなたはその「自主的な判断」を尊重しますか?
http://twitter.com/kdxn/status/38792199944679424
と問い、「それは機能的におかしい」という小倉の当然の返答を経て、
「ちょうせん」と打って「チョン」と変換されるのが「機能的におかしい」のなら、日常語彙が変換されないのも「機能的におかしい」
http://twitter.com/kdxn/status/38792703126802432
と私が答えている部分である。これが、高史明には「ちょうせん→チョンが変換できるべき」と言っているように見えたらしい。しかし、私がそのような発言をしていないことを指摘すると、彼はこう言ったのだ。
あ、ごめんなさい他の人と間違えましたw誤認されたくなかったら元通り小倉先生のところにお帰り下さいw
http://twitter.com/Fumiaki_Taka/status/38946974799495168
ところが、「他の人」など存在しないのである。この議論の最中に小倉秀夫に対して「ATOKは標準辞書にチョンを収録すべきだ」などというムチャクチャな主張をした人はいない(いたら小倉センセーが黙っているわけがない)。つまり高史明には、私と対話を初めてわずか15分の間に存在しないものが二つも見えたのである。
彼のバッド・トリップはその後もつづく。
「ネトウヨが変換できたらおかしい理由は何ですかネトウヨさん?」
「(白痴という言葉は)歴史の古さはともかく大人は恥ずかしくて使えないという意味ではスラング」
「あなたの政治指向なんか知らないけど差別語に強い執着のある人だというのはよく分かった」
彼は私の「政治指向なんか知らない」状態であるにも関わらず、このForces of Oppression の作者である私が「ネトウヨ」に見え(!)、本屋に並ぶドストエフスキーの小説の表紙にでっかく印刷されている「白痴」がスラングに見え、ATOK標準辞書から「工夫」「小人」「白痴」「下賤」といった特定の語彙が排除されていることに異を唱える者(ここでは私、問題提起の発端は別の人)が「差別語に強い執着のある人」に見えてしまう(このメタ視点の欠如については稿を改める)。
何よりも、自分で相手を「ネトウヨ」呼ばわりした直後に、ネトウヨという言葉を「大人は恥ずかしくて使えないという意味ではスラング」と定義してしまうのだから、これでは高自身が「俺は子供だ」と言っているのと同じである。
つまり、存在しないものは山のように見える一方、自分自身(発言者としての立ち位置、あるいは論理を構築する理性)は完全に見失っているのだ。高史明の現在の研究テーマは「偏見・ステレオタイプ」「攻撃性と自尊心・自己愛 」だそうだが、他人様の偏見や攻撃性、自尊心を研究するよりも、自らの頭をカポッと開けてその中身を研究したほうがよほど早いのではないか?
インターネット上の「議論」で安易に何かを「差別語」認定し、それをもって他者の発言の何かを批判している人たちの多くは、同様の状態に陥る。それは彼らが、誰もが共有できる客観的な概念としての「差別語」が存在すると思いこんでいるからなのだが、これには実は根拠がないのだ。
「差別(用)語」というのはあくまでマスメディアなり何なりが自主的に語彙を集めてガイドラインをつくり運用しているものにすぎず、収録語彙はまちまちである。小倉秀夫の使う「床屋」という言葉だって、かつて放送では「差別語」、あるいはそれと同等の扱いをされていた(呼び名はいろいろある)。
だから当然、ジャストシステムがATOK標準辞書から排除した語彙の中に、他では「差別語」とされていないものが含まれているだろうし、逆に標準辞書に収録た語彙に放送コードその他で「差別語」のように扱われていたものも多数ある。つまりそれらを包括した、一般的な意味でのカギカッコなしの差別語などというものそれ自体が、「存在しえない」のだ。
言語学的な立場からすれば「差別(用)語」などというものが存在しないことなどはすでに常識なのだが、彼らはそのことすら知らない。民族や職業、あるいは身体的特徴など、特定のカテゴリーを貶めるための侮蔑語(その多くはスラング/卑語)は「差別語」にかなり近いが、「工夫」「小人」「白痴」「下賤」がそういった語に該当しないことは明らかだ(そこから説明しなければならないのは、本当に文字通りの意味で相手が子供の場合だけであろう)。
つまり、「言葉狩りをやめよ」という主張は、換言すれば「その言葉は《差別語》ではない」という主張と同義であり、「差別語」というカテゴライズそのものに異議を唱えるものなのだから、それに対して「差別語を使いたい人」だとか「差別語を収録しないとどんな不便があるのか」などとあたかも共有された概念としての「差別語」の存在を前提として反論することには意味がない。それは単純な論点先取であり不当仮定にほかならない。にもかかわらず、上記のまとめリンクにおいて小倉秀夫も高史明も「差別語」という言葉を一切再定義することなく、一切の疑いを持つこともなく、ひたすら自明のものとして使用していることに注目したい。これが「安易な差別語認定」に耽溺する者の特徴である。
そういう状態だから論理で反論できなくなるのは当然で、いきおい「ネトウヨ」だの「酔っぱらい」だの「えらそう」だの「失礼」だの「おちょくっているだけ」だのと、対論者の属性や態度に負のスティグマを刻印し、自分の優位性を強調することだけに汲々としてしまう。高史明が何度も何度も「俺はおちょくってただけなのだ」などと悲痛な叫び声をあげるまでもなく、そんなものが「論争」として成立しないのは当然だろう。
「◯◯は差別語だ」という強固な思い込みは、その論点そのものを見えなくしてしまう、あるいは「なかったことにしてしまう」のである。その上で、彼らはただひたすら対論者をデモナイズすることを繰り返す。いったいなぜ、そのような振る舞いになるのか。
「それが快感だから」以外に合理的な理由は思い当たらない。
朝鮮学校いやがらせ事件における公園使用の経過(弁護団第三準備書面より) - はやく仕事しろ>俺
京都朝鮮第一初級学校が昭和30年代に地区住民と勧進橋児童公園使用について交わしていた合意の詳細。
有門大輔を馬鹿にする - ある右翼のmixi日記から
渋谷の黒い彗星事件について、NPO外国人犯罪追放運動の有門大輔がごちゃごちゃといいわけのエントリーをアップしつづけているが、事実関係についての反論は皆無なので、実際に起こったことが東京地検に提出されたこの弁護人の意見書通りだと認めているのだろう。総連だの民団だのの名前を挙げて黒い彗星のことをあたかもその構成員であるかのように記述しているが、彼はそのどちらの団体とも無関係である。ましてや「朝鮮マフィアの鉄砲玉」でもなんでもない。ただの在日の学生である。彼はいったいなにをそんなに怖がっているのか。「パトラッシュ」という名前のレストランが犬料理を出していると勘違いして大騒ぎした有門大輔らしいクオリティだと笑っておく。
そんな有門を、私の友人の右翼、群青こと大石規雄さんがmixiの日記で馬鹿にしていたので転載しておく。
有門大輔を馬鹿にする
2010年12月12日17:22
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1637922623&owner_id=17526852&comment_count=11
(以下転載)
12月4日。在特会、主権回復、排害社などのゴロツキ集団による朝鮮学校攻撃デモが行われ、これに単身抗議した在日コリアンの青年が、デモ参加者から集団暴行を受けた上、なぜか暴行「加害者」として警察に逮捕連行される事件が起こった(現在は釈放)。
これについては、当初青年の側から、デモ参加者に暴力が振るわれたと報道されたが、実際には、抗議の横断幕を広げ、ゆっくりデモ隊の前に歩いて行った青年を、デモ先頭にいた西村修平が飛びついて押さえようとし、青年に振り払われて転び、その後走り寄ってきた他のデモ参加者に青年が集団暴行を受けたというのが事実であり、だいぶ見づらいものだが、その流れを捉えた動画も現在ユーチューブで公開されている。http://www.youtube.com/watch?v=8wqONAt9TZY&feature=related
聞くところでは、排害社の金友隆幸などが、メガフォンで青年の頭を数回殴打したとも言われる。これなどは、行動保守流に言えば「殺人未遂」である。
ただ私は、今回のそれは過剰なものであったとは言え、デモ隊がデモ抗議者や妨害者に対し自己防衛することまでは否定しない。今回の青年はまったくの非暴力的な抗議であったが、場合によっては、そうではない場合もある。とっさにその判断がつかなかったことも考えられよう。
ただし、後になって検証し直せば分かることを、今も「柔道有段者による計画的襲撃」などと、デマを流し続けるのはいかがなものか。そういう言動を見ると、彼らの主張なるものの多くが、そうやって作られるのだな、と断定したくなるし、実際そうなのだろう。
まあしかし、内容はデマとはいえ、多数のデモ隊に武器も持たない単身の抗議者が飛び込んできたことは勇気あること、とも書いたのが、まきやすともや、排害社の金友であった。
「チェ(崔)としても覚悟を持しての行動。」(まき やすとも 政経調査会)
http://makiyasutomo.jugem.jp/?day=20101205「乱入者は一人であり、圧倒的に多数を占めるデモ隊参加者によって取り囲まれた。」(まき やすとも 政経調査会)http://makiyasutomo.jugem.jp/?day=20101206
「突っ込んで来た不逞鮮人は、傲岸不遜厚顔無恥の敵なりと言えども、その民族的気概と勇気は一評に値しよう。逮捕と返り討ちを承知で、一身以て多勢に向う気概は、なかなか真似の出来るものではない。」(排害主義者宣言)http://haigai.exblog.jp/12450237/
思えば私も、立場としては朝鮮学校の現状に問題を感じる人間であるが、そのために民族対立を煽る側には与しない。悪質差別に対する抗議や反撃には、これを肯定、賞賛する者であり、今回の青年の行動に対し素直な感動を覚えた。
このように、立場が異なる人間をも感動させたのが今回の事件だが、これに対し執拗な人格攻撃をし、貶めようと躍起なのが、侍蟻こと有門大輔である。
しかし言うにこと欠いて、父親連れで警察に行っているから情けない、などと言っている。そんなことを問題にするお前の方が情けない。
「一時拘留からの釈放後、自身の父親を伴って警視庁渋谷署に被害届を提出しに行ったという。再捜査の開始で父親に心配させたくなかった旨を『ツイッター』に書き記しているが、自身で襲撃事件を起こしておきながら警察沙汰になるや二十代後半にもなろうかという大の大人が父親まで引っ張り出して被害者ヅラする卑劣さ。」(極右評論)
「こっちが本気になってやってるのに、向こうがオヤジを連れて警察署に出向くなんてどういうことだよ!? 俺はそんな情けない奴に倒されたくなかったよ(西村修平の言葉として)」(極右評論)http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51628936.html
だから何?という話だが、一応はっきり言っておきたい。
父親に、自分のしたことをちゃんと説明できる人間は恥ずかしくない。それよりも、集団暴行を働いた上、その被害者に嘘デタラメを言い続けるお前ほど恥ずかしい人間はいない。有門大輔は最低な下劣漢である。
「愛国無罪」の下劣な連中が、自らのデマを恥じない日本は、私たちが目指す道義国家日本とは大きく異なるものである。恥知らずどもを黙らせた先に、日本及びアジアの未来はある。
(転載ここまで)
「在日特権」という用語の生みの親が在特会の主張を完全否定?
「在特会の何に危惧するのか」ブログ「草莽崛起」に掲載された野村旗守の未発表原稿。
このブログへの転載は西村修平からの依頼とあるが、そもそも問題になっている京都の朝鮮初級学校襲撃事件で逮捕された4人のメンバー西村斉、川東大了、中谷辰一郎、 荒巻靖彦は、当時全員が西村の「主権回復を目指す会」の会員であり関西支部の幹部である。西村は自分の子分の悪事を野村に否定させて何がしたいのか。
例によって被害者を装う「行動する保守」――12月4日・渋谷での在特会・主権回復を目指す会・排害社による集団暴行事件について
12月4日午後、渋谷・マルイ前の交差点で、「領土奪還一周年記念 京都朝鮮学校解体デモ行進」なる差別・ヘイト・デモの参加者たちが、その主張に抗議する青年に集団で暴行を働き、あろうことか被害者を装って青年を警察につきだし、警察がその青年を逮捕するという事件があった。産経新聞は以下のように報じている。
デモ参加者に飛びかかり妨害するなどしたとして、警視庁渋谷署は4日、暴行の現行犯で、男(27)を逮捕した。 逮捕容疑は、同日午後3時25分ごろ、東京都渋谷区神南の路上で、デモに参加していた60代の男性に飛びかかり、暴行を加えたとしている。 同署などによると、デモの参加者が男を取り押さえ、デモの警備をしていた警察官に引き渡した。デモには約100人が参加し、朝鮮学校に対する抗議活動をしていた。http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101205/crm1012050003000-n1.htm
おそらく警察発表を鵜呑みにしたベタ記事であり、その警察発表自体、自称「被害者」の言い分を鵜呑みにしたものにすぎなかったのだろう。「男(27)」は、渋谷署に2泊して6日の夕方、釈放された。「デモに参加していた60代の男性」とは、おそらくデモを実質的に主導し先頭を歩いていた西村修平(主権回復を目指す会)だと思われる。
「犯人」とされた青年本人が語る事件の詳細
その青年、崔檀悦本人から電話で聞いた話によれば、
(1) 「飛びかかって」はいない。
(2) もちろん暴行を加えてもいない。
(3) 逆にトラメガで殴られるなど、集団で暴行を受けてケガをしている。
ということである。詳しい経緯は以下のようなもの。
崔の行動の目的は、抗議アピールを書いた横断幕を真正面からデモ隊につきつけることだった。横断幕には「民族教育の権利を守るぞ!! 阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!! 祖国統一! 우리는하나(我々はひとつ)- ANTIFA黒い彗星☆」と書かれていた。彼は、それを両手で広げながらデモ隊の先頭に「ゆっくり歩いて」出たのである。その瞬間西村修平がつかみかかり、自分の横に回って引き倒そうとしたため、思わず柔道の技で払ってしまった。※西村の「背中に右腕を添えながら体を右に回転させた」。
その後、先頭集団に囲まれ集団で暴行を受けたという。中でも排害社の金友隆幸は、肩にかけていた大型のトラメガを外しそれで殴ってきたため、崔檀悦はそれを奪って遠くに放り投げた(警察はそのトラメガを崔のものと思い込んで押収しており、釈放時に崔に返却しようとした。自分のものではないと明らかにした上で、トラメガの指紋を取ってくれと申し出たが、拒否されたという)。
すぐさま警察が割って入り、暴行されている崔檀悦を集団から引き離した。ヘイトスピーチに反対する会のブログによれば、《渋谷警察はかれを排外デモから引き剥がし、「保護」と称してかれを渋谷署に連行します。しかし、取調室に到着するや、前言をくつがえして「暴行による現行犯逮捕だ」とかれに告げ、そのまま署に勾留した》。
以上の一部始終は、第三者が撮影したこの動画に記録されている(3分20秒あたりから)。
http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8#t=3m20
「主権」がアップロードした証拠でも裏付けられる崔檀悦の言葉
「被害」を主張する西村修平が率いる主権回復を目指す会がネット上にアップロードした動画や、参加者による「暴行の瞬間」とされる写真もまた、崔檀悦の証言を裏付けている。
まず、「暴行の瞬間」の写真として、以下のものがある。

(画像は有門大輔ブログ『極右評論』より)
ベージュのスーツで斜めに倒れかかっている男が西村修平、その肩に手を回しているのが崔檀悦、そしてその右側で飛びかからんとしている黒い上着の日の丸鉢巻は、西村と同じく主権回復を目指す会の加藤哲史だと思われる。
この写真は、西村修平が「自分の横に回って引き倒そうとしたため、思わず柔道の技で払った」という崔の証言と一致している。ちなみに崔檀悦と話したのは彼が警察から解放された直後で、その時点で彼はネット上にどんな情報が流布されているのかを全く把握しておらず、当然この写真も見ていない。
さらに、「その瞬間」とされる動画がある。
http://www.youtube.com/watch?v=4FLmzsX09fU#t=1m10s
これは「主権」がニコニコ動画にアップしたオフィシャル動画の一部を抜粋したもののようだ。
youtubeにアップされた短縮版には問題の箇所のスローモーション(1分23秒あたりから)があり、それを見ると前進するデモ隊の前に黒い服の男が飛び出し、タックルして西村修平を倒しているように見え、実際にそれが崔であるかのように喧伝されている。しかし崔の証言および上の写真と合わせると、それは巧妙な印象操作にすぎないことがわかる。
飛び出している黒い服の男は白っぽい鉢巻をして日の丸を持っており、明らかにデモ参加者のほうだ。そして上の写真と合わせてみれば、それは加藤哲史でしかありえないことがわかる。この男が「飛び出し」たときには、すでに崔檀悦は西村修平につかみかかられた後なのだ。その崔に、加藤は西村もろともタックルをかけている。崔と西村は同時に倒れているから、仮に倒れたことで西村がケガをしたのだとすれば、その責は半分以上が加藤に帰するものだろう。
自らの集団暴行シーンをカットしてのデマ宣伝
そしてニコニコ動画にのオリジナル版では、カメラは事件の直前までずっと1カットでデモを映し出していたにもかかわらず、タックルシーンの直後11分26秒と27秒の間で突然カットが入り、目尻と口から血を流して警察に引き離される崔檀悦がいきなり映しだされる。
騒ぎの起こる直前、10分48秒あたりのシーンにはトラメガを右肩にぶら下げた金友隆幸が写っているが、カット挿入後12分38秒では金友はすでにトラメガを持っていない。以後、デモ終了まで彼は手ぶらである。ビデオのタイムカウンター上ではわずか2分弱。このわずかな時間に、金友はいったいトラメガをどこへやってしまったのだろうか。これも、崔の証言を裏付ける重要な映像である。
つまり、問題の集団暴行シーンは主権回復を目指す会によってバッサリとカットされているのだ。
これまでデモは必ず生中継してきた「行動する保守」だが、この日に日本各地で同時多発的に行われた各種団体のデモの中では、この東京デモだけが生中継されていない。西村修平はこの春からデモの生中継を認めなくなった。在特会その他の会員が、自らの犯罪行為の証拠を嬉々として生中継し、それを録画で公開することに業を煮やしてのことである。その狙いはもちろん、今回のようなことが起きたときに、都合の悪いシーンを「なかったこと」にするためにほかならない。
当日現場にいなかった私が公開された資料と被害者(本当の)本人の証言から言えることは以上だが、こうした「証拠」を検討するまでもなく、事実関係はほぼ最初から推測していた通りだった。なぜそういう推測ができたかというと、これが「行動する保守」のあまりにもお決まりのパターンだからである。
これまでも繰り返されてきたマッチポンプと被害の捏造
在特会や主権回復を目指す会は、これまで何度もこのような暴行事件を起こし、そのたびに自ら被害者なりすまして逆に被害者を加害者扱いするデマ宣伝を行なってきた。
今回もさっそく排害社の金友隆幸が「先頭を歩いていた主権回復を目指す会の西村修平代表を投げ飛し、全治3週間の怪我を負せ、他のデモ参加者に暴行をふるった」などと紋切り型の被害報告を書き連ねているが、これまで見てきたことから明らかなように嘘八百である。
また、在特会は東京支部長秋津昭男の報告 として「当該鮮人は果敢にも一人でなにやら横断幕らしきものをもって攻撃を仕掛け、まずはデモ隊先頭で3人の女性が横断幕を持っているところから攻撃を仕掛けてきました」としているが、これも写真を見れば明らかなように真っ赤な嘘である。それ以前に、会長の桜井誠が自ら「反日左翼は突っ込んでこい!」と煽りに煽ったデモで、彼らはあえて女性を先頭に立たせていたのである。それは、このような場合に「女性を狙った」というデマをしたてあげるために、女性をいわば人間の盾に使ったとも言える配置である。
そのことは、「デモ隊のウィークポイントである先頭の女性3人めがけて突っ込んでくること」について秋津が「感心」していることからも明らかだろう。「当該鮮人が目的のためなら手段は選ばないという固い決意を感じる」などと行っているが、これはそうした「攻撃」に「感心」してしまう自分の心情を存在しない事実に投影してしまっている状態だろう。「本当に子供と闘う在特会」「女性を集団暴行する行動する保守」とこれまでさんざん嘲笑されてきた彼ららしい本音が、こんなところで露呈しているのである。
※:萩尾健太弁護士による「被疑者の不起訴を求める意見書」にしたがって事実に関する不正確な記述を訂正。
「普通の人たち」をレイシズムに駆り立てるもの
先週にひきつづき、在日韓国YMCAへ。フリージャーナリスト、安田浩一の講演を聞く。「連続講座 移住者のリアリティ」 の第4期第4回「レイシズムの現場を取材して~社会を息苦しくするものはなにか」。
安田浩一はこの数か月間、在特会および「行動する保守」関連の取材を重ね、そのまとめの記事が載った『『g2』第6号がちょうど発売になった当日というタイミングだった。講演の内容は『g2』の記事「在特会の正体」でまとめられていることにそったもので、在特会および「行動する保守」のデモや街宣に参加する人たちが、何をきっかけに、どういう考えでレイシズムに染まっていったのかを、自身の取材体験をもとに解き明かすというもの。
この『g2』の記事は、おそらくこれまでに出た在特会に関する記事の中でもっとも深く、正確にその実態を記述したものだと思う。従来的な保守/リベラル、あるいはウヨサヨの枠組み彼らをとらえることがいかに的を外しているか、桜井誠の生い立ちから、京都や徳島の事件で逮捕された会員の自宅取材までを含んだていねいな取材によってそれを明らかにする安田の手腕は見事の一言。
前回のエントリーとももちろん関係することだが、この記事で何がわかるかというと、在特会や行動する保守の運動に参加している、多くは「ネット右翼」と呼ばれる人たちが、「いかに普通の人たちであるか」ということだ。
その多くは、どちらかというと引っ込み思案で、社会に対して思うところあっても友人たちの前でなかなか表明することができない。そこに、ネットで「真実」を明らかにし、社会に向けて不正(と彼らが認識しているもの)を告発している自分と同じような人達がいることを知り、一気に傾倒してしまう。デモや街宣は、政治的主張を発揮する場である以前に、同じような「感覚」を持つ隔絶した個が出会い、つながる場であり、自己実現のツールなのだ。だから彼らは友達同士で誘いあってデモや街宣に参加することはないし、デモが終われば一人で帰っていくのだった。
安田浩一が桜井誠の故郷にまでおもむいて取材した結果によれば、桜井の高校時代のクラスメートは誰も彼のことを覚えていなかった。正確には「存在感のないおとなしいやつ」としてしか記憶になかった。そして、そんな桜井が高校を卒業し、在特会を立ち上げて今のようなネトウヨのカリスマになるまでの十数年間はまったくの空白といっていいほどで、仕事の上でも社会的にも、注目されたりすることはなかった。つまり桜井自身が、社会において承認されることのない「隔絶した個」の一人であり、それを象徴する存在なのだと言ってもいいかもしれない。
また、在特会はよく囁かれるような大物政治家や既存の保守/右翼団体とのつながりもなく、バックに誰かスポンサーがいてカネをだしている気配もない。ある意味で純粋な市民団体なのだという。その点で、「頑張れ日本!全国行動委員会」のような団体とも性格を異にする。つまり、ポリティカルではないのだ。だから、暴走してしまう。
この講演を聞いた人がツイッターに書いた感想の中で以下のようなものがあった。
彼/彼女らが「在日」というとき、念頭に置かれているのはむしろそれによって象徴される「サヨク」なのだ
まさにその通りだと思う。しかもその「サヨク」には、実際には朝日新聞から産経新聞にいたるまでの大手マスコミ、保守リベラル双方の知識人、あまつさえ新右翼までもが含まれているのである。在特会の会員は自分たちの運動を「エリート批判」と言い、安田はそれを「物申す者」への反感と見ている。
彼らは自分より大きなものに逆らう言葉もロジックも持たない、そしてその闘えない自分を自覚しているがゆえに、物言う人々が嫌いなのだ。その「物言う人々」の象徴が、彼らの言う「サヨク」なのだ。「サヨク」がいるためにこれまで小声でひそひそとしか言うことができなかったことを、在特会や行動する保守の面々は街頭で堂々と主張している、多くの名もなき参加者は、そのことに惹かれている。しかしデモの場を離れれば、一人一人は柔和でおとなしく、物腰も丁寧な「普通の人」にすぎない。
『g2』の記事には書かれていなかった話で興味深かったのは、安田が日系ブラジル人の多い地区を取材していたときのこと。その地域では「職を失ったブラジル人たちが浜辺でスラムを形成している」だとか、コンビニに強盗に入ったといったたぐいのデマがまことしやかに流されていたが、そうしたデマを流しているのは、小さい子供を持った普通の主婦たちで、お母さん仲間に携帯の同報メールで送っていたりするのだという。あるいは、日系ブラジル人の取材をしていると言うと、「怖くないですか?」と尋ねられる。そうした傾向が、とくにリーマン・ショック以降強まったのだそうだ。もちろんそこに悪意はないし、そうした人たちがレイシストであるというわけでもない。ただ漠然と「外国人は怖い」という意識が広がっているのだった。
安田は言う。何も日本人が突然レイシストになったわけではない、普通の日本人の持つそうした漠然とした不安感と、そして知識やロジックの欠如が、一部の人たちを薄っぺらいゼノフォビアに駆り立てるのだと。そして在特会や行動する保守は、常に自分たちが被害者の側だと、真剣に考えているのだ。
これは正確な分析だと思う。今回の『g2』の記事でこうした分析が、幹部だけでなく実際に多くの一般参加者への取材によってなされた意味は大きい。
ネトウヨは社会の負け組!……とかのんきなこと言ってる場合ではない
御茶ノ水の在日本韓国YMCAでこの春から行われている「連続講座 移住者のリアリティ」の第4期、金明秀(キム・ミョンス)の回を聞きに行った。
ネット上では早くから在日問題のポータル「THE HAN WORLD」を主宰し、あの有名な、そしてネット右翼の重要な攻撃対象である掲示板 “hanboard” を運営してきた金明秀は、現在関西学院大学教授で計量社会学を専門としている。計量社会学とは何かというと、要するに統計データに基づいた社会学でさまざまな社会調査によってエスニシティや社会意識論、社会階層論を論じるというもの。できるだけバイアスを排して調査を行うことによって、政治的視点から自由な実証的な研究を行うことが期待できる。
今回の講座では、金明秀が2009年に京都で行った排外主義に関する意識調査についての解説がメインだった。設問の工夫によって様々な因子を特定し、その中から統計的に有意な数値を示すものを抽出するという方法で、住民基本台帳から無作為に抽出された500人の日本人を対象に行われたもの。
その詳細についての解説は私の手に余るので省略するが、この調査で判明したことのうち特筆すべきは、昨今の日本のレイシズム/排外主義の背景に社会階層や経済的要因はほとんど影響してなさそうなこと、そして、伝統への意識やナショナル・プライド(自分たちの国家のあり方についての誇り、とでも言うべきもの)は高いほうが排外主義を押し下げる方向に働く、ということだった。
ナショナル・プライドとは、広義のナショナリズムの一種とも言える。自分たちの国家の体制が正しくあるかどうか、公正であるかどうかについての関心や自信が高いほど、不公正を許容しないという傾向があるということで、これは右翼用語で言うところの「憂国」の概念にも通じるものがある。情緒的なパトリオティズムは排外主義に傾きやすいが、このナショナル・プライドは逆に作用する。いわゆる「こんなことをやっていては日本人として恥ずかしい」という考えだ。これは、「良きナショナリズム」と規定していいんじゃないかと思う。
在特会その他のどうしようもないレイシスト集団に対して強い批判の声を上げている人たちの中には左翼/リベラルだけでなく、保守主義者も非常に多く、さらに保守よりも「右翼」と呼ばれる層に、激しい義憤の念を抱いている人は多い。単なる個人的な実感にすぎないが、これは一水会や統一戦線義勇軍のような新右翼のみならず、任侠右翼を含む旧来の右翼団体にも同じような傾向があるように思う。
だから日本の排外主義と闘うに際して、「人権思想/リベラリズムvs排外主義/ナショナリズム」という構図を想定してしまうと、対処を間違うことになる。さらに言えば、「左翼vs右翼」という構図も当然ながら取り払ったほうがいい。いや、むしろ右派とは積極的に共闘していくべきだ。だから左は反排外主義で行動するときに、いちいち天皇の悪口や日本の戦後責任の問題を持ち出さないでほしいんだよね。日の丸にウンコ書いた旗上げるとかね。おとといツイッターにも書いたけども、余計なひとことを付け加えることによって共闘できるものもできなくなってしまうということが多いのが本当に惜しい。
もうひとつ、社会階層や経済的要因についてだが、これはいわゆる「ネット右翼は社会の負け組」だとか「新自由主義による経済的な不満が排外主義に向かっている」といったような言説が何の根拠もない妄言、都市伝説にすぎないということを示している。
80年代以降のヨーロッパのレイシズムは、移民によって職を奪われるのではないかという不安が大きな要因のひとつだったが、日本の場合はどうも当てはまらないのではないかと常々感じていた。日本のレイシスト団体に所属する人の多くは、おそらく経済的に社会の底辺層にいるのではない。在特会の刑事裁判が進行するにしたがって構成員の職業や属性が次々と明らかになっているが、その担い手は「無職やニート」ではないし、ブルーカラーでもない。経済的に安定したホワイトカラーや自営業者が活動の中心を担っているのではないか?というのがここ1年ほど彼らを眺めての実感だったが、事実はそれに近く、また金明秀の調査はそのことを数字で裏付けているようにも思える。
そもそも左翼/リベラルの立場にいる者が政治的に敵対する層を「ニート」呼ばわりし蔑むこと自体、矛盾しているのだが、ネット上にはそうした暴言が溢れている。これはレイシスト批判ではなく、貧困層への偏見にもとづく差別行為にほかならないのだということが、この研究によってはっきりしたのではないかと思う。ということは要するに、そんなこと言ってるヒマにもっとやれることをやろうぜ、ということだ。
※ちなみにこの連続講座、来週12月4日は在特会への体当たり取材で話題のフリー・ジャーナリスト、安田浩一が担当する。彼が在特会会長の桜井誠の実家を取材したルポが載る予定の『G2』の発売日でもあり、こちらも注目である。
(追記)
後半部分について、金明秀さんご本人から以下のようなご指摘をいただいたので追記。私のこのエントリーは、やや扇情的にすぎるまとめになっていたようです。
> kdxnさんはぼくがデータから示唆したことを正確に把握されたと思います。ただ、一点、社会経済的要因については結論が早すぎます。
> ようするに、日本において、排外主義に教育年数や職業分類の有効性を示した先行研究では、保守主義的態度をうまくコントロールできていなかったり、ナショナル・アイデンティティをモデルに含んでいなかったりするわけで、そこを改善した分析が多数でてこないことには確定的なことは言えません。
> この種の研究は、群れで証拠集めをしながら真実に接近していくもの。ぼくの研究もそのプロセスの一部分に過ぎません。あくまで、今回のサンプル(京都市民からの確率抽出)、今回の分析モデルにおいての結論だということです。
> 社会経済的要因については学術的にも俗論としても注目が集まりやすいので、安易な議論の方向性に警鐘を鳴らした、と考えてください。その意味では @kdxn さんのブログ記事と主旨は同じです。でも、繰り返しますが、まだそこまで確定的なことはいえません。
以上、ツイッターから。
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